皆さんこんにちは!真夏もそろそろ終わりでしょうか?関東地方の天気予報も、雨マークをちらほら見かけるようになりました。ちょうど今週の日曜日も、千葉県北西部は雨でした。それなら・・・ということで、柏の隣町、流山市の流山市立博物館に行ってきました。
流山市立博物館の位置
流山市立博物館は、ご覧のような位置です。
JR常磐線各駅停車の馬橋駅から私鉄の流山線に乗り換え、終点の流山駅から徒歩ですぐ。車であれば、常磐道の流山ICから10分程度の距離です。街中ですが、図書館に隣接しており、広い駐車場もあります。
初めて訪れる、流山市立博物館。まずは企画展へ。
駐車場から歩いて50mほど、左手の坂道を登ると流山市立博物館があります。
坂の途中、葛飾県、印旛県史跡という石碑が。廃藩置県後、一時的に流山は県庁所在地だったことがあるのですね。その後、様々な県がまとめられて、千葉県に統一されるわけですが。
左手が市立図書館、右手が市立博物館です。
企画展、「北方交流録」を見に来ました。以前、図書館でチラシを見かけて気になっていた企画展です。8月30日までということで、終了間際でした(笑)
流山市立博物館の入館料は、どなたも無料です!嬉しいですね~。
入るとすぐに、江戸川の魚。というテーマの水槽が。地味ですが、様々なタナゴが泳いでおり楽しいです。
そして、企画展、「北方交流録」へ。千葉県内各地から出土した石器、土器などが展示されています。
まず驚いたのが、上の写真の湧別技法と、もう1つの瀬戸内技法の両方の石器が千葉県で出土していることです。湧別技法は、その名の通り北海道湧別町の名が付けられていますが、類似した技法が、中国、シベリアでも発見されているとのこと。千葉県で出土しているものの岩石の原料は、東北地方に産する硬質頁岩(東北頁岩)で、完成品ばかり出土しているようです。ということは、東北の生産地から石器の完成品を運んだ人がいるということですね!
また、瀬戸内技法はその名の通り瀬戸内地方で発達した製作技術のようですが、これも南関東~東北地方南部(山形県の日本海側付近)まででよく出土しているそうです。
縄文時代以前に、北海道から西日本までの人々の交流があった・・・そしてその証拠が千葉県内でも沢山出てきている・・・ロマンがありすぎる話です。証拠を目の前にして、感動してしまいました。
さて、熱くなりすぎました(笑)。もちろん、弥生時代の土器も東北との交流の跡が。ただ、弥生時代の遺跡は千葉県内には多くないそうです。
さて、企画展が開催されている第二展示室。無料にしては本格的な博物館だということが分かります。
これは可愛いと思い撮った一枚。あごひげの埴輪。あごひげの埴輪は茨城県で主に出土しているそう。北限はいわき市辺りらしいです。常磐道沿線であごひげが流行っていた時期があるのでしょうか?(笑)
常設展も見ごたえあり!近藤勇から始まる展示もインパクト大。
さあ、そのまま常設展も見学します。まずは新選組から。
流山は近藤勇が捕らえられた、新撰組終焉の地です。流山に到着してからの近藤勇直筆の日記も残っており、これも興味深い。
そして、白みりん発祥の地でもあります。みりんの製造工程なども丁寧に解説がありました。
みりんコーナー。右端の大きな仕込桶もインパクトあります。
大正時代までは、流山は江戸川での水運、そして利根川と江戸川を短絡する利根運河によって栄えました。利根運河沿いの当時の街並みです。
こちらは明治時代の江戸川沿いの流山旧市街。
時代は一気に昭和へ。ここからは東京のベッドタウンとしての道を歩みます。
つくばエクスプレスの名称募集のパンフレット。
つくばエクスプレスが出来て、流山は一気に人口が増えました。子育てしやすい街としても、人気が出ているようですね。駅前の住宅はもう高すぎて手が出ない・・・
後半はかなり省略してご紹介しましたが、意外に(と言ったら失礼か)充実した博物館でした!
正直、私も流山市のことを単なるベッドタウンとして認識していましたが、こんなに面白い歴史があったとは。今度は旧市街を散策してみたいですね。新撰組の陣屋跡も残っているようですので、探検したいと思いました。
それでは!